空き箱マトリョーシカ
しかし、近年床は抜け、戸は外れ、屋根や壁がぼろぼろ剥がれて風で飛び、いつ壊れてもおかしくない危険な建物になりはててしまい、それでついに取り壊すことに。
費用節約のため、工事の日までに中のガラクタを自分で分別廃棄することに決めました。
家庭ゴミとして出せるものは細かくして市の指定ゴミ袋につめて少しずつゴミの日に出します。この間のゴミの日には燃えるゴミ45リットル7袋、燃えないゴミの日には20リットルを2袋を廃棄しました。
それだけ捨ててもまだほんの一部です。小屋には40年分のかつては必要だったものが詰まっています。親たちは高齢になっていて、よろけて転んで怪我でもされたら困るので、戦力外です。一人きりの戦いです。今はもう使わない道具にも家族の歴史や思い出がまとわりついており、なかなか進みません。
たとえば写真のお菓子の箱。持つと中に何か入ってるから、大事なものだとまずいと思って中を確かめようと開けると中に箱。その中にも何か入っているから開くとまた箱。。こんなものがいくつもいくつも出てきます。クール宅急便の発泡スチロールの空箱積み上がって壁できてるし。。
自分の親、かなりの変わり者だとは思っていましたが、ちょっと異常なんじゃないかというほどの箱愛に腹が立ってきます。あんまり腹が立ったので、友達に愚痴ったら、「うちも!」「うちの親も!」という返事が。
「空き箱のマトリョーシカ(入れ子)」は「親あるある」だと言われ、なんだわたしの親だけじゃないんだと慰めをいただきました。
ちょっとしたことですが、気分がスウィッチ。人に愚痴をを聞いてもらうことも大変な仕事時には必要ですね。(みなさんのだれにも話せない愚痴はわたしたちがうかがいます。サロンド・ミネにどうぞ〜💕)
南田